- 2014.12.01 Monday
ピクサーとスティーブ・ジョブズ氏〜「ピクサー流 創造するちから」を読んで〜
pixar-2 / IAN RANSLEY DESIGN + ILLUSTRATION
先日、ピクサーの共同創設者エド・キャットムル氏の本「ピクサー流 創造する力」を読んだという記事を書きましたけど、
「ピクサー流 創造する力」ピクサーの凄さがよく分かる本。最高のビジネス書かもという評価も納得。 | Creative Arts Showers's Blog
あの記事ではキャットムル氏の凄さについて少し触れるだけでも結構な文字数になってしまって、ジョブズ氏とのことについてまで書くスペース無かったんで、今回別途、ピクサーとジョブズ氏に焦点を当てて書いてみたいと思います。
まず、この本を読んでいて、改めて驚いたのは、ジョブズ氏がハード事業で赤字続きだったピクサーのために50億近いポケットマネーを出していたことと、超優秀なキャットムル氏に、「スティーブは私よりずっと頭の回転が速いため、言い終える前に論破されてしまうことが多い」と言われてたことですね。
キャットムル氏の言葉通り、ピクサーにおいて、やはりジョブス氏が経営者として突出していたと思わせる出来事の一つは株式公開についてだったと思います。トイストーリーの公開直前、直ぐにジョブズ氏は株式公開を決断します。ラセター氏もキャットムル氏も、あと2〜3本撮ってからにしょうと考えていたようで、それが普通だと思いますが、ジョブズ氏の考えは違いました。
ジョブズ氏の考えは、トイストーリーの大ヒットによって、ディズニーのアイズナーCEO(後々揉める相手)が、ピクサーというディズニーに対抗しうる魔物を作ってしまったことに気づいて、契約の見直しを求めてくるだろうから、その時に有利な条件で交渉できるように、自分達も資金力が必要だ、というものでした。
そして、結局ジョブズ氏が思った通り、トイストーリーは興行収入記録を打ち立て、ピクサーはトイストーリー公開1週間後に株式公開を行い100億以上の資金を得ることができ、その後案の定アイズナーCEOからなされた契約の申し入れに対し、ピクサーは対等な条件でディズニーと契約することができたそうで、そのことにキャットムル氏はとても驚いたようです。
ジョブズ氏による外部との交渉は、重要な局面程さらに一段冴えたようで、ジョブズ氏は資金的にも経営面においてもまさしくピクサーの保護者というべき存在だったようです。
2007.12.04 Visit to Pixar - Atrium / NASA Goddard Space Flight Center
ただし、やはり、自伝本等、各方面での証言があるように、初期のジョブズ氏はキャットムル氏からするとかなり関わり辛い相手だったようです。本文中の言葉を引用すると、「並外れて頭が良く、勝気で、自分の意見をはっきり言う頑固者」という印象だったようです。
こういう特徴については、既に有名でしたけど、ピクサーにおいてもそうだったんだな、と改めて思いました。
しかし、この後、ジョブズ氏の性格にも次第に変化が見られるようになったようです。
キャットムル氏によれば、結婚して妻子を持ったことと、ピクサーでの経験が、ジョブズ氏の人間性を変えた大きな要因だっただろうとのことです。
自伝本の中でも、ジョブズ氏自身、ピクサーでの経験がテクノロジーとアートの融合のためにとても重要だったと述べてますから、他者との関係性や心をテーマにした物語を創るクリエティブ集団のピクサーで、クリエイターの人達から受けた影響はやはり大きかったんだろうと思います。
そもそも、当時、シリコンバレーとハリウッド、エンジニアとクリエイターはお互いを理解しない、尊敬しない異質な文化の関係だったようですから、ジョブズ 氏がAppleやNeXTといったIT企業以外に、ピクサーで働いていたということは、ある意味当然にジョブズ氏に新たな影響を与えたであろうことは想像に難くないと思います。
キャットムル氏によれば、ジョブス氏は最後の20年で、「あの激しさを失うことは決してなかったが、聞く力をどんどん身につけていった。ますます共感や思いやりや忍耐強さを見せるようになっていった。そして本物の賢者になった。彼は心底変わった。」と感じたそうです。
Wired Magazine: now and then / rich115
ジョブズ氏がいなければほぼ間違いなくピクサーは今のアニメーションスタジオとしてのピクサーとして存続してなかったでしょうが、そのピクサーからジョブズ氏も多くのものを得たようで、「生まれ変わったらピクサーの映画監督になりたい」とピクサーのある監督に話したこともあるそうです。
ピクサーの映画については、最初からジョブズ氏は、大赤字続きの中、初のコンピュータアニメーションによる長編映画を作るというピクサー社員の熱意や決意を尊重し、仕事については自分は専門ではないからとクリエイターに任せていたそうですし、その後映画が続々とヒットして、ピクサーの映画が世の中を良くすることに貢献していることや、良い作品は永遠に生き続けることにとても価値を感じていたようですから、その話しも結構本気だったのかもしれませんね。(写真はピクサーの本社)
Meeting a Childhood Influence / I'm George
Appleについても、創業者がいなくなっても続く企業であることを強く望んでいたそうですから、永続性というのは彼にとって大きい価値のあるテーマだったのでは、と思います。
ジョブズ氏が亡くなった後に、ピクサーのある社員はジョブス氏について、こう語っています。「いつも長い目で物事を見る人でした。仏教に傾倒していましたが、それよりも精神の人という印象で、彼はその先を信じていたのでしょう。そう想わずにはいられません。その場所でいつかまた彼と会えるでしょう。優れた人物やアイディアが必ず頭角を現す場所で。スティーブ、やすらかに。」
2011年10月5日、ジョブズ氏逝去の発表があって間もなく、ジョブズ氏の構想により4年がかりで建築され2012年にピクサーによってThe Steve Jobs Buildingと名付けられた本社の上に虹がかかったそうです。
ジョブズ氏が設計したピクサー本社のカフェテリア。
cafeteria / orphanjones