- 2018.06.04 Monday
暗闇の中でも、ただいるだけで幸せ感があるという状態。
その頃は、今よりもエネルギー状態は良く無い訳で、色々と過去の出来事やら環境やらの影響や、更に今にして思うともっと大きな原因であるエネルギー的な大きな負担もあった状態だった訳で、利き腕も右でしたし、今よりも全然猫背でしたし、周りの人からも元気ない感じに見えていたようです。
当時は、自分自身も、本当早く消えたいなぁくらいの思いが割とあったんですけど、消えても周囲への影響含めて色々大変だし、生きていかなきゃ仕方ないだろうから、とりあえず前に進むか、、、くらいの感じでした。
普通、大学生の頃とかって基本的に一番楽しいくらいだとも思いますし、実際周りの人達はもっと元気に楽しんでる人達も多かったように見えましたが、こちらはそこまででも無く、ただ、なんだかんだ人と会う時は気も使うし、楽しくいたいとも思ってたので、その場はなんか笑いでも取ろうかと神経使って、余計に疲れた、、みたいな感じの時もありました。(普通に友人達とのやり取りで楽しかった時もありましたけど。)
そして、用事もないで一人でいる時なんかは、当時は慢性的につまらない状態ですから、結構居心地良くない感じでもありました。そんな記憶はあります。
大学の時点でそういう状態ですから、大学卒業後に年をとって、より重い負荷がかかったら、更に坂道を転がるようにしんどくなっていったのも今にして思うと当然な感じもします。。
しかし、そのしんどくなってきた頃に、丁度たまたま神社に行って、そこで感じるものがあったり、呼吸法をちょっとやってみたら効果を感じたから続けてみたり、あとヒーリングも受けてみたら、元々敏感な体質だったようで一緒に受けていた人よりも最初からかなり感じてるタイプだったらしく、そこら辺からスピリチュアルの効果やら恩恵を感じていた訳です。
20代半ば以降の生物的な加齢と共に調子が慢性的に下がり気味になった頃に、丁度スピ的なことの効果を知って、体感もしてきて、その恩恵でしんどかった数年をなんとか凌いでたんですけど、それでも限界を感じた頃から、今度は自分のオリジナルのセッションが始まりまりました。
それが、過去に他で色々と経験した呼吸法やらヒーリングやら、そういうものと更にちょっと次元が違うレベルで浄化力が凄くて、その分浄化も大変だったんですけども、そのお陰で、一番どん底で大変だった状態から着実に登り調子になり、元気になってきて今に至るという訳です。
このオリジナルのセッションが始まったきっかけは、明るく心地よく浄化力の強い神聖なエネルギーが来てくれたから、ということに尽きるんですが、始まった当初はまだ右利きでしたし、過去の自分にとっては、昔の自分に加えて、新しい素質に目覚めたくらいの感覚でした。
その頃から、要するに、上から神聖なエネルギーが来てくれると明らかに心地良かったんですね。
ある時は、結構面倒なことにも遭遇して、普通に心的には気分が落ちるような状況だったにも関わらず、セッションして神聖なエネルギーが来ると、上から明るいエネルギーが降りてくるので、気分も良い方に変わっちゃうんですね。そこまで心配する必要もないというアドバイスなんかも感じましたし。
結果論として、その面倒な事態というのも、やはりアドバイスとして感じた通りに大事に至るほどでもなく乗り越えた感じでしたが、その過程でほぼ落ち着いていられたのも、上から心地良いエネルギーが来てくれたから、という感じでしたね。
その頃は、ちょっと普通に考えるとかなり面倒な問題が起きてだんですけど、それでも上からの明るいエネルギーで気分も落ち着いてたくらいなんで、特に問題がなくて普通にしてる時に、「いるだけで幸せ」という感覚も非常に多くあったと思います。
ただ、その状態のままだったら楽だったのかもしれないですけど、その後、それまである意味上ばかりを意識してたのが、今度は下を意識するような流れになって、螺旋の階段を降りるような活動ことが始まってからがまた大変で、、利き腕利き脚も変わる程にあまりに大変で、毎日対処するべきことが押し寄せてくる感じで、いるだけで幸せ感なんて味わう暇もない感じでした。
それ以前が、昔の自分に足し算で新たな素養を付け加えた感覚だったとしたら、それ以降は、利き腕利き脚から変わるくらいに根本的に以前の自分の要素すら変わるような感覚もありました。(まぁ今でもいつでも昔の状態には戻れますが、今より大変だと感じるのでやりたくないという感じです。。)
そういう大変な掘り下げ作業をガーッとやって、ひと段落ついたような周期にちょっと、過去に感じた「いるだけで幸せ」みたいな感覚が強まる時があったという感じでした。
そして、その後また直ぐに、更に掘り下げていく感じのサイクルが始まるとひたすらしんどい作業みたいな感じで、年中無休でしんどい作業してるような感覚でした。
そんな感じで、ひたすらしんどい掘り下げ作業をして、ひと段落したら、たまに周期的に、いるだけで幸せみたいな気分を一時味わって、、、というサイクルをもう何回続けたかも覚えてないんですが、少なくとも過去にこのブログ記事でも特に書いた記憶がなかったので、そんな暇とか余裕もなかったのかな、、なんて思います。
しんどかった時に記事を書いた記憶はあるんですけどね、、、苦笑。
この記事は4年前ですね。作業員の苦労みたいな感じのただの日記を書いてますね。ブログを始めたばかりの頃だったので、なんでも書いてみようという感じだったのかとは思いますが、今となっては良いんだか苦いんだかな思い出ですね。。
掘り下げる過程では、妨害とかもしょっちゅうありましたし、毎日夜になったらしんどさのピークなのは当たり前みたいな日々でしたが、ワインとかもがぶ飲みして浄化を促したりして乗り越えてましたね。
そんなことを繰り返して、最近ではiMacを買う流れにもなって、それも結果的に功を奏したようで、今一番掘り下げて来たこの自分史上一番低い領域でも、「いるだけでも幸せな状態」を感じることができるようになって、「あぁ久しぶりだなぁ」という感慨があります。
前回の記事で、今まで5年ほど、13インチのMac Book Proをメインに使ってきて、割と満足していたのに、27インチのiMacを買うに至ったことについて書きました。 今回は、実際にi...
上の方で、神聖なエネルギーを感じて良い状態にいることは、例えば、霊山だの聖地だのと言われる有名な山とかで修行でもしてたら味わえるような体験なのかもしれないですけど、この平地で、しかも東京という世界トップレベルの人口密度の都会で、同じような状態を味わうというのは、なかなかに難しいと思うんですよね。
こちらは、それが出来るように上から苦労して神聖なエネルギーを下まで降ろして来てるという点が、本当はかなり特徴なんだと、玄人目線では思ってます。
山の聖地でエネルギーを広げて、良い状態、良い気分になったまま都会に降りると、普段以上に都会のエネルギーの悪さとのギャップを感じて辛くもなりますからね。。。
過去にも実際にそういう人がいて、「またアメリカのあの山に帰りたい」と言ってる人がいましたけど、聖地等の場所ではとても良い状態を感じられても、どこでも同じ状態でいることはなかなか難しいんですよね。都会で聖地の山にいるようなエネルギーを味わったり、エネルギーレベルのギャップの大きさにやられない、ということは実際はかなり難しい訳です。
こちらも、人口密度世界一を常に争うような東京生まれで、10代の頃から満員電車乗って、都会のエネルギーの良くなさにやられてきた面も多々あると思います。
その後、特に山に行った訳ではないですが、上の方の良いエネルギーの恩恵を体感して、その後更に上から神聖なエネルギーを下に下にと降ろす苦労を経てきたこの数年は、都会のエネルギーとのギャップにやられるよりも、むしろ年々都会でも楽に過ごせるようになって来てますね。
まぁ、降ろしてきた神聖なエネルギーの質が、やられてやらないという強さもあるエネルギーだからということもあるでしょうけど。
ただ、年々楽になってきてる実感は常に感じつつも、今回久しぶりにまた味わってる「いるだけで幸せ感」って、「辛くない」というよりも更に上の感覚で、「ベースの状態が常に幸せ感がある状態」なので、その上で食事なんかしたら、しみじみと美味しいんですよね。。。
普通の安いものを食べても、何かいかにも地価が高そうな場所にある立派なとっておきのレストランで食事してるかのような幸せ感がある訳です。
何事も、結局は本人の気分の問題がかなり大事だと思うので、安くて強い幸せ感が味わえるなら、安上がりでそれに越したことはない、という訳でして。
この「いるだけで幸せ感」って、頭で「あれとかこれとかあるし、まぁ考えてみたら幸せだよね。。」的に頭で考えた後に幸せ感を感じるとかではなく、頭で考えるとか一切抜きに、頭よりも先に細胞レベルで幸せ感が湧き出てくるという感じです。居るだけで。
もちろん、なんか馬鹿になっちゃったとか、外で1人でにやけてて怪しい、、、とかまでにはならないんですけど、何か良いことあったからとか、綺麗なもの見たからとか、そういう出来事抜きに、「暗闇の中で一人でいても」幸せ感を感じられるという状態ではあります。
ちょっと似た感覚としては、子供の頃って、いるだけで楽しいみたいな時も多かったんだと思いますよね、多分。そして大人になると、そこまでの感覚じゃなくなるとも思うんですよね。
それが普通の感覚だとしたら、最近久し振りに味わった幸せ感がある感覚は、あくまで一応大人として、子供の頃のこともちょっと思い出すような感覚もありつつも、子供のようにやたらとはしゃぎたい訳でもなく、暗闇を恐れる訳でもなく、もう少し静かにしみじみと慢性的に幸せ感を感じるという感じですね。 天国にいたらそうなのかもしれないですよね。。
今後更にまた掘り下げていく作業が始まったら、またそれでしんどさや忙しさの感覚の中で、一時、今程は味わえないのかもしれないですけど。毎度、今回が掘り下げ作業の最後だったらなぁ、、とは思うんですけどね。。
まぁ掘り下げ作業もいつかは必ず底をつくはずなんで(笑)、そうなったら、後はずっと「いるだけで幸せ感がある状態」をキープすることに意識を向けられたら最高だなぁなんて思いますね。
もちろん、自分が基本的に幸せ感が強い状態でも、周りの人はそうじゃなくて、あるいは嫉妬的に攻撃される危険なんかもあることも分かってるんですけど、こちらは、今は昔と違って、対外的な防御作用も強くて、そういう相手にはやられてやらない面も多々あるので、動物に例えるなら最低限の自分の縄張りは守りつつ、その中で幸せ感を味わっていけたら、と思っています。
この先、また掘り下げ作業が始まるかのかどうなるのかはまだ分からないですが、とりあえず今回はこうやって記事にでも残しておこうかなと思える程のタイミングではあるようで、書いてみた次第です。
追記)
この記事の下書きを1週間以上前に書いてから、また変容もちょっとあったり、頭で色々考えたりするべきこともあって、最近はまた「そこまでじゃない」みたいな日々でもあります、笑。
ただ、昔に比べたら確実に調子自他は底上げされてもいます。アップダウン激し過ぎて、一時幸せ感を強く味わいながら、別の時はガクンと落ちる、、みたいなことはありませんで、「まぁ、最高の状態に比べたら、そこまでには至らないかな」程度の感覚ですかね。
基本的に、調子の底上げを図ってきてる面はありますので、いつも最高レベルの7割以上くらいでいられたらとりあえず良しとしようという感じです。
因みに、昔の自分は最近の最高レベルに比べて、平均4くらいでしたね。。 一人でいる時に特に良いと感じる経験があまり記憶にないんですよね。。
最近は、それがあるだけマシかなと思ってます。
ま、調子良い方が何事もより頑張れる面もあるでしょうから、これからも色々頑張ります、、、。
- スピリチュアル
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- by watarai9